■銘菓「土佐物語」の製造販売元-株式会社土佐の楽市本舗■







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ホーム土佐物語~江戸時代から続くしょうがごませんべいの歴史~


坂本龍馬が生きた江戸末期頃の土佐藩

土佐物語のパッケージに描かれているイラストは、山内氏が治め、坂本龍馬や多くの偉人が生きていた江戸末期頃の土佐藩。

城下を望むように小高い場所に建つ高知城をはじめ、はりまや橋堀川界隈、先人が手堀りで創った運河、江戸時代初期(1661年頃)に土佐藩3代藩主・山内忠豊によって開設された魚の棚、その当時の町並みをこの度イメージ画として創作しました。
土佐の楽市本舗は「土佐物語」として是非皆様にご紹介したく、パッケージを本に見立て、この癒しを感じる穏やかな古き良き時代を絵巻箱にし、古くからの土佐ならではの食材(生姜・鰹節)を用いた、昔ながらのしょうがごませんべい、生姜かつぶしせんべいをはじめ、昔ながらの粉けんぴにチョコをコーティングしたチョコッとケンピ、チョコサンドした和風ラング・ド・シャを詰め合わせにしました。



しょうがごませんべいの原点は江戸時代にあり!
そして江戸時代の300年の歴史のなかで多くの種類が世にでたという"せんべい"。その中に、小麦粉に砂糖・卵・水を加えて練ったものを一晩寝かし、翌日鉄板上でけし粒を振りかけて焼き上げ、角形に切った干菓子"いさごせんべい"があります。

しょうがごませんべいはこの"いさごせんべい"の技法を使って作られており、添加物は一切使っておりません。受け継がれた昔ながらの技法と香り高い土佐の天日干し乾燥生姜を加え、香ばしいごま風味は一度食べたらやみつきです!お子様からご年配の方まで安心してお召し上がりください。

南海道随一の名城 高知城

高知城天守の外観は四層とも五層とも見えますが、内部は六階で、白亜、搭載型の変形で最上層に望楼風高欄がついています。この天守には珍しく御殿(懐徳館)が付属していて、正殿上段の間、溜の門、納戸、玄関などがあり、当時の大名の生活をしのばせます。本丸には天守の他に、東多聞、廊下門、詰門、西多聞、黒鉄門などの建造物が残っています。

元々は互いの往来のために架けた私橋・はりまや橋

藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋と、富商柩屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。
当時は、簡素な木造りの橋でした。橋は、時代とともに幾度か架けかえられ、昭和33年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場します。
ここに架かる木造りの橋は平成5年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を素に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。

江戸初期から今もなお住民に愛される『情報の宝箱 魚の棚』

土佐は海路を通じ大阪や他の町と交易が行われた運河の町。そこには、材木、釣り具、金物など商業が盛んに行われていました。堀川が巡る要所には、現在の市場にあたる「魚の棚」が三か所ありました。魚の棚は経済の中心地。人の交流が賑わうなか様々な情報も飛び交いました。龍馬の生家のある上町にも魚の棚があり、商人の末っ子として生まれた龍馬もきっと、この界隈を歩きいろんな人と交流したことだろう。市場に集まる人々はまさに情報の宝庫。政治、経済、文化の情報を自分の耳で収集し、行動で確信した龍馬。すぐれた人に出会い、話を聞くことが、龍馬の生涯にとって大きな糧となったことでしょう。
江戸時代初期に、土佐藩3代藩主山内忠豊によって開設され藩政時代の台所を預かる町としてにぎわった魚の棚は、現在でも約20店舗が軒を並べており、数百種類のコロッケを販売する惣菜店も人気です。

重たい荷物を運搬するために掘られた川、堀川と新堀川、そして堀詰

堀川は高知城外堀付近から浦戸湾を繋ぐ運河として、 新堀川は江ノ口川と堀川ー浦戸湾を繋ぐ運河として藩政時代に造られました。この運河は重い荷物を運搬する際に使用されていたそうです。その運河の終わりが堀詰です。

龍馬の志を育んだ家庭教育

龍馬の手紙は数多く現存し、足跡を知る上で貴重な資料として有名だが、龍馬は和歌も多く残している。下級武士の末っ子の龍馬が、和歌を学ぶとは意外だが、これには龍馬の家系に秘密がある。龍馬の母方の祖母「久」の父は、万葉学者で歌人の井上好春。源氏物語に造詣が深い国学者として活躍した。その流れが龍馬に伝わったと思える。ほかにも、一弦琴をたしなむ父権平。さらに継母の伊與の実家にあたる川島家は廻船問屋を営み、姉・乙女と訪れては、長崎や下関からの珍しい話を聞いたとされます。世界地図や輸入品を見て世界への憧れを高めたのかもしれません。龍馬の人格の礎は、人々とのご縁と、文化を育む家族、そして何よりも彼の果てしない好奇心から生まれたことでしょう。

スポットライトは土佐幕末の舞台から

武市半平太の剣術道場があった土佐の下町・新堀川界隈。先人が手掘りで創った運河のほとりは、土佐幕末のセーヌ川とも言える、文化と経済が活気づいたホットスポット。はりまや橋からほど近いここに、半平太のブレーンと言える人物が結集していました。陽明学の岡本寧甫、奥宮慥斎。和歌・国学の田内菜園、絵師・河田小龍らがここに住み、ともに語り合ったことだろう。その一人が坂本龍馬。小龍の弟子でのちに偉業を共にした海援隊の長岡謙吉、近藤長次郎。陸援隊の中岡慎太郎もここで出会い仲間との縁を育んだ。こんな下町の穏やかな川端で熱く語り合い行動を共にしたであろう土佐の男たち。
これから起こりうる幕末の荒波の大舞台に毅然として立ち向かっていった土佐人に反骨精神にエールを贈り、この「土佐物語」のクライマックスを締めくくろう。

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